游築見出し明朝体の欧文について

游築見出し明朝体の欧文についてよりくわしく知っていただくために、設計意図や制作方法などの記事を用意しました。
(制作担当S.N.)

はじめに

游築見出し明朝体は、東京築地活版製造所の36ポイント明朝体という日本の活字史上の名作を元に作られた書体です。このような名作書体に見合う欧文をと考えた時に、同じような金属活字時代の書体を復刻して合わせることにしました。

 

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歴史上さまざまな書体がありますが、今回は16世紀オランダに着目しました。その中でも今回は当時最も有名なプランタン印刷所(Officina Plantiniana)でも用いられたヘンドリック・ファン・デン・キーレ(Hendrik van den Keere)というパンチカッター(活字彫刻士)の書体と、ギリス・コッペンス・ファン・ディースト(Gillis Coppens van Diest)という、宗教改革時代の禁書発行を行なっていた印刷家に愛された書体を元にしています。

 

なおオランダ一帯はベルギー、ルクセンブルクと共に低地の国々(Low Countries)と呼ばれることもあります。今回は便宜上「オランダ」とさせてください。また一部の人名・本のタイトルの表記は歴史的な理由や言語的な理由によりこの文章の中での表記とさせてください。

制作プロセス:調査 情報収集

書体を制作する過程は復刻書体といえ様々です。今回のアプローチとしては、游築見出し明朝体の日本語を見た印象でオランダの歴史的な書体が合いそうでしたので、オランダに焦点を絞って、16世紀から18世紀までの書体を専門書を使って研究していくところから始めています。

 

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オランダ活字に関する書籍

 

近頃はデジタルの書籍や論文を読むことが多くなりましたが、紙の本ならではの良さもあります。真ん中の分厚い本は、1703年創業で現在でも活字を販売しているエンスヘデ活字鋳造所(The Enschedé Font Foundry)という会社のチャールズ・エンスヘデ(Charles Enschedé)という方が書かれた『Typefoundries in the Netherlands』という本です。オランダを代表する印刷一家エンスヘデ家のコレクションを使って活版印刷で刷られている大変美しい本です。少しだけ中をお見せしましょう。

 

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『Typefoundries in the Netherlands』の抜粋

 

例えばこのように、15世紀に作られた活字の電胎法(メッキ技術による完全な複製法)による複製で刷られているページなどもあります。その下の本はヘンドリック・バーブリート(Hendrik D. L. Vervliet)の16世紀オランダの研究書『Sixteenth-Century Printing Types of the Low Countries』です。一番下はバーブリートとハリー・カーター(Harry Carter)の本で『Type Specimen Facsimiles』という昔の書体見本の複製です。この2冊も大変重要な研究書で、のちに解説します。

 

研究の中で、より游築見出し明朝体の雰囲気に合うであろう16世紀に焦点を合わせていきました。実は16世紀オランダの書体は、書体史というものが研究分野として成立していく初期の時点では、詳しいことはわかっていませんでした。

 

16世紀オランダの書体の本格的な研究は、1950年代、プランタン=モレトゥス印刷博物館(Plantin-Moretusmuseum)が400周年を迎え保管庫の調査を行なったことがきっかけでした。書体史の本として最も有名な書体歴史家ダニエル・バークレー・アップダイク(Daniel Berkeley Updike)の『Printing Types: Their History, Forms and Use』や書体歴史家のスタンリー・モリソン(Stanley Morison)らが編集した『The Fleuron』といった本が出版され、書体史というものが研究分野と成立していったのはその前の時代でした。そのためか今でも少し歴史の影に隠れています。

 

保管庫の調査には、先ほどの本の著者であるカーターやバーブリートなどの重要な書体研究家が参加しました。この時の調査などを反映したバーブリートの研究が先ほどの『Sixteenth-Century Printing Types of the Low Countries』として出版され、16世紀オランダ書体研究の名著とされています。現在、彼はオランダの活字のみならず、16世紀の活字研究の権威と呼ばれています。

 

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『Sixteenth-Century Printing Types of the Low Countries』

 

制作のプロセスとしては、研究書を読み進めていくと同時に様々な歴史的な資料を探していきます。書体の研究の歴史的な資料としては印刷物、パンチ(父型)や母型そしてスモークプルーフ(パンチを蝋燭で炙り煤をつけたものを紙に押して確認することから、こういわれます)などがあります。

 

皮肉にもコロナウイルスによるロックダウンの影響で、世界中の図書館のデジタル化が進みました。したがって、今では多くの本を見ることができます。しかしいくつかの本は今なおデジタル化されていません。また活字は3次元のオブジェクトです。先ほどの本の著者であるカーターの有名な言葉に「Type is something that you can pick up and hold in your hand.(意訳:活字は手に取って持てるものだ)」がありますが、実際に現物を見てみることも大事です。

 

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金属パンチ
 

特にパンチと呼ばれる父型は非常に美しく、キラキラ輝いています。昔のヨーロッパのパンチカッター(活字彫刻士)の多くは実はゴールドスミスと呼ばれる宝石職人で、パンチの制作代金の代わりに宝石で支払いを受ける場合もあったようです。そのためか美しいパンチは宝石のように輝いています。

制作プロセス:調査 歴史の理解

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『Type Specimen Facsimiles』

 

クリストフ・プランタン(Christophe Plantin)
歴史をお話しするにあたって、先ほどの『Type Specimen Facsimiles』という本を見てみましょう。この本は、フランス出身でアントワープで活躍したクリストフ・プランタン(Christophe Plantin)によって1585年に作られた書体見本の複製です。彼の創業したプランタン印刷所は1555年から1562年の間、少しの間をおいて1564年から1800年代まで続きます。フランス出身であった彼は非常に口の達者なビジネスマンであったといわれ、当時の流行の最先端のクロード・ガラモン(Claude Garamont)などの活字をいち早くオランダで使い始めます。

 

この何の変哲もない1585年の書体見本から、この時代の印刷家そしてプランタンの状況を垣間見ることができます。この書体見本の最も目立つ最初のページの下部に位置する書体、【Canon d’Espaigne】と題される書体は、今回作成した復刻活字の制作者と同じヘンドリック・ファン・デン・キーレの書体です。

 

このスタイルはブラックレターと呼ばれるローマン体以前に用いられた黒みの強い文字の中でも、ロタンダ(Rotunda)と呼ばれるスタイルです。実はこの活字、オランダでは全く需要のないスタイルで、おそらくこの書体見本以外にはほとんど使われていないだろうと言われています。

 

つまり全く需要のないスタイルの書体を、わざわざ見本の最も目立つ位置に置いている実に奇妙な書体見本なのです。なぜこのような奇妙な書体見本をプランタンは作成したのか、それはこの書体見本は当時オランダを支配していた、スペインのハプスブルク家の王様フェリペ2世(Philip II of Spain)より仕事をもらうための見本であったからです。このロタンダはヨーロッパの南の方でよく用いられるスタイルで、プランタンはヨーロッパ南国出身の王に良い顔をするためにわざわざこの書体を一番目立つところに配置したのです。

 

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実はまだこの当時オランダという国はありませんでした。この1585年の書体見本が発行されたときオランダは独立戦争をしている中だったのです。当時のオランダは大混乱でした。独立戦争に加え宗教改革も進んでいたからです。ヨーロッパの南側スペインはカトリックの国でしたが、教皇のいるローマから遠いオランダではプロテスタントが非常に浸透しました。つまり、よりカトリックの影響の強い国出身の王が、宗教改革の盛んな国を治めていたわけです。その戦争の最中、1585年に彼の拠点アントワープがスペインに陥落されてしまい、彼は経営危機に陥っていたのです。

 

さてプランタンはこの南ヨーロッパのカトリックの国の王に媚を売って仕事を貰おうとしていたわけなのですが、彼自身の宗教的な立場は非常に難しいものがあります。彼は表向きには敬虔なカトリックであったとされています。印刷所の帳簿や出版目録の調査によるところ、彼の活動に宗教改革にまつわるものは基本的に無かったとされています。しかし実のところ近年の研究では、彼が宗教改革の活動に与していた証拠が見つかっています。彼は後世の研究者も欺くほど徹底的に証拠を隠滅し、取締などで見つかると困る帳簿や出版目録上では当然のごとくそれらに関わる情報を隠蔽していました。

 

16世紀オランダでは出版物に対して様々な隠蔽工作が行われていました。例えば宗教改革にまつわる出版物の年代、印刷所、そして場所の情報は、嘘の情報が記載されたり省略されることが普通にありました。こうすることで宗教改革にまつわる書籍の印刷者は身分を隠しながら印刷を行なっていたのでした。

 

彼のキャリアに大事件が訪れたのは1562年でした。プランタンが不在の際に印刷所でカルバン派の書物が印刷されるという事件があったのです。当時の法律ではプランタンはこの責任を取らされることになり、彼は起訴され監獄に入れられ財産を没収されるはずでした。この危機に対し、彼は破産宣言し国外逃亡を行います。

 

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『Spelen van sinne』

 

さてこの騒動の中一冊の本の印刷が進められていました。この本は『Spelen van sinne』といい、ウイリアム・シルビウス(William Silvius)という出版業者よりプランタンに印刷を依頼されたものでした。禁書ではなかったものの、この本はプランタンの財産没収の際に没収される予定でしたが、なんとか難を逃げ切り別の印刷家に託されることになりました。その人物こそはギリス・コッペンス・ファン・ディーストでした。

 

ギリス・コッペンス・ファン・ディースト(Gillis Coppens van Diest)

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『Spectacvlorvm In Svsceptione Philippi Hisp. Prin. Divi Caroli V. Cæs. F. An. M. D. XLIX. Antverpiæ Æditorvm, Mirificvs Apparatvs.』

 

今でこそギリス・コッペンス・ファン・ディーストは禁書の印刷家の中でも最重要人物ともいわれますが、長らく謎とされてきた人物でした。先述の研究者バーブリートによる活字の研究が1950-1960年代に進んだおかげで、印刷に使用した活字の組み合わせなどから本当の印刷者を割り出すことが可能になりました。そのことから彼が当時禁書発行のため暗躍していた印刷者であることが見えてきたのです。(プランタンもこの方法で禁書発行に携わっていたことが判明しています。)

 

彼が重要な印刷家であったことはその印刷物もですが、その印刷されたパートからも知ることができます。当時本のタイトルを印刷することはすなわち「何を刷っているか」を知っていることとされ、取締られた場合非常に言い逃れしにくい危険なパートでした。したがって複数人で印刷を行う場合、タイトルを刷る印刷者のリスクは非常に高いものでした。コッペンスはこのタイトル部分を多く手がけていたことも知られています。彼はかなり精力的にかつ大規模に暗躍し、少なくとも14種類以上の禁書を発行していましたが、1572年に『d Inquisitie van Spaingnen(意訳:スペインの異端審問)』と題される書籍を印刷したという理由で、先の王フェリペ2世の手先に捕まってしまいます。

 

また彼には面白い特性がありました。他の印刷家と異なり彼は活字のスタイルが古臭くなろうと同じ活字を長らく使用し続けました。使用する活字は彼のシグネチャーのようになっていたと禁書を研究していたオランダ印刷史の専門家は言っています。

書体の作成

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『Plantin’s Folio Specimen c.1585』

 

ローマン体
今回、ローマン体の参考としたのはプランタンの使用していた活字で、すでにお伝えしたように制作者はヘンドリック・ファン・デン・キーレという方です。プランタン=モレトゥス印刷博物館の保管庫調査により、同博物館の収蔵の少なくとも40のパンチや母型の製造を行ったことが明らかとなった人物です。『Spelen van sinne』という本の話を先ほどしましたが、この本の印刷にはもう一人印刷家が関わっていました。その人物の名前をアメット・タヴェルニエ(Ameet Tavernier)といい印刷と活字の製造を行っていました。このタヴェルニエ、実はファン・デン・キーレの師匠にあたる人物です。

 

ファン・デン・キーレのこの書体は16世紀オランダを代表する活字といっても過言ではないでしょう。現代では有名な書体ですが、当時は特定の書体名がついていた活字ではないと思います。バーブリートは作者と大きさを表す【Van den Keere’s 2-line double pica roman】と呼んでいますが、1585年の書体見本には【Canon Romain】として出てきます。また現在のプランタン=モレトゥス印刷博物館では【Grasses Capitales de 3 R Mediane】と【Gras Canon Romain】と呼ばれています。

 

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『Psalterium』

 

ローマン体が普及していく中、オランダではローマン体はブラックレターと混植して使われることがよくありました。混植といっても現代のイタリック体のように文章中の単語の一部をローマン体もしくはブラックレターに置き換えるだけではありません。現代の人からは異様な組み合わせかもしれませんが大文字だけローマン体、小文字はブラックレターで文章を組んだりまたその逆もありました。このブラックレターの黒さに負けないローマン体として、オランダのローマン体は黒く文字幅が狭い書体が作られました。この活字もそのような目的で使われていました。

 

またプランタンは印刷コストを下げるために活字の鉛の使用量を減らそうとします。そのためファン・デン・キーレなどに、ガラモンなどの活字の中でアセンダーやディセンダーなどの突き出しのある文字をより短くしたものに置き換えるよう依頼します。

 

これらの出発点としては異なる理由が、結果としては文字の造形に同じような作用をもたらしました。歴史家のアルフレッド・ジョンソン(Alfred F. Johnson)はオランダの書体について、「比較的ウエートが太く、コンデンス気味でxハイト[小文字の高さ] が高く、アセンダーやディセンダーが短い書体 (comparatively heavy wight, somewhat condensed, and which have a large x-height, that is to say have short ascenders and descenders)」だと表現しています。このいわゆるオランダらしい書体を形成していく重要な人物がファン・デン・キーレで、カーターは先ほどの『Type Specimen Facsimiles』の中で彼がオランダに残した遺産だと記しています。

 

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大文字【Grasses Capitales de 3 R Mediane】と小文字【Gras Canon Romain】

 

ファン・デン・キーレのこの活字のパンチや母型はプランタン=モレトゥス印刷博物館のデジタルデーターでも公開されています。しかし金属活字を復刻する際には、単純に活字のアウトラインをトレースするわけにはいきません。金属活字というものは、インクが付着し紙に押しつけられるという物理現象が起きることを前提に作成されています。つまり現代の印刷方式では、単純なアウトラインの複製ではデジタルフォントとして使用されると細く見えてしまいます。また印刷物から復刻する場合、どれぐらいインク滲みを綺麗にするかということを考慮する必要があります。「ラフ(rough)」と「スムーズ(smooth)」という言葉でこれを表現する場合もあります。

 

またパンチにはサイドベアリングと呼ばれる左右のアキの情報はありません。パンチは銅製の棒に叩き込まれます。このパンチが打ち込まれただけの状態の物をストライク(Strike)といいます。この当時実はこのストライクの状態で商品として流通することは一般的によくありました。プランタン=モレトゥス印刷博物館のコレクションでもこの状態のものを見ることができます。このストライクをタイプファンドリーと呼ばれる活字鋳造所が購入します。その後ジャスティファイアーと呼ばれる専門の方が銅の表面を綺麗にし、位置や傾き深さなどを調整した母型(Matrix)と言われる状態にします。これを鋳型にセットする際にレジスターと呼ばれる固定部位を操作し左右のアキをさらに調整します。つまり現代ほど活字の左右のアキは固定ではなかったと思います。

 

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【Grasses Capitales de 3 R Mediane】の「U」

 

活字のディテールの理解も非常に重要になります。例えば今回復刻した活字と同じセットに含まれる「U」を見てみましょう。セリフ(縦線などの端の飾り)の形状が「A」と全く異なります。「U」のセリフにはブラケットと言われるセリフとステム(縦線)をブリッジする構造はありません。また彫られた内側の部分がガサガサしているのも気になります。ファン・デン・キーレはカウンターパンチ(別のパンチを別のパンチに打ち込み文字を整形する技法)の使い手でしたので、このガサガサはカウンターパンチを打ち込んだ跡というより彫ったもののように見え別の作り手を想像させます。推測ではありますがおそらくこのパンチは後の時代から追加されたのでしょう。(特にこの時代は大文字「U」の代わりに「V」を使っていました。)

 

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【Gras Canon Romain】の「e」

 

次に「e」を見てみましょう。おそらく銅製の棒に打ち込んだ時の衝撃でしょうか、このパンチは大きくヒビが入ってしまっていることが分かるかと思います。この活字は1585年の書体見本『Plantin’s Folio Specimen c.1585』では形状が異なっています。1585年の「e」はカウンター(文字の内部の空間)が開いています。一方現存するパンチでは「e」のカウンターはもう少し閉じています。

 

この当時のプランタン印刷所で取り扱っていたパンチの制作者ガラモンとファン・デン・キーレで、書体のディテールがいくつか異なりました。特にガラモンの「e」のカウンターは大きく開いていることが特徴と一般的には言われます。この活字自体はファン・デン・キーレの作成したことになっているセットの一部ですが、1585年の書体見本のものではかなりガラモン風になっています。今回はよりオランダ風に作成するために現状のパンチの形状のような閉じた形にし、関連する「c」などはこの形状に合わせて変更しました。

 

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左:【Gras Canon Romain】、中央:『Plantin’s Folio Specimen c.1585』より【Canon Romain】、作成した「e」

 

最も難しい判断は文字の幅の関係です。実はこの活字の小文字同士の文字幅の関係はそれほど現代人にとって心地よいものではありません。「o」と「n」を比較すると、もう少し「n」が広い方がより現代人に馴染みやすいでしょう。本文書体であればしっかりと修正したほうが無難ですが、見出し書体ということで調整は最小限にしています。この文字の幅はファン・デン・キーレの別の書体、この文章では王様に媚を売るための書体として紹介した【Canon d’Espaigne】の制作方法と関係があるのではないかという説もあります。

 

先ほどから金属活字の制作について少し詳しくお話ししている理由は、活字の文字の形は、刻印する機材、鋳造する技術、印刷される媒体といった物に影響されて出来上がっているからです。歴史的な書体を作る際にこの製造に関する知識があるとより深いディテールの理解につながります。

 

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左:『Plantin’s Folio Specimen c.1585』より【Canon d’Espaigne】、右:同資料より【Canon Romain】

 

最後に今回のローマン体の面白い特徴として、この書体では「A」や「E」の真ん中の水平線は非常に強くなっています。近年の書体ではこの特徴を持つ書体は少ないですが、歴史上の書体を眺めると意外にこの特徴を持つ書体が多いことに驚かされます。日本語の游築見出し明朝体は「南」などの縦線が傾いているなど、今の書体ではあまりない特徴を持っています。したがってこの「A」や「E」の横線の太さはそのままにしました。

 

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「A」と「南」

 

この特徴がどこからやってきたのか、少し調べてみましたが現状わかっていません。リサーチの中で最も古い資料でこの特徴を有しているのは、バーゼルの印刷物でした。したがってその周辺の地域から始まった特徴なのかなという推測はしていますが、確定的なことは言えません。

 

 

 

イタリック体

 

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『De afflictione』

 

今回復刻したイタリック体はこれまでほとんど注目されたことがないと思われます。バーブリートの本の中では【Richard’s 2-line double pica italic】と呼ばれ、制作者は「François Guyot, perphaps(意訳:フランソワ・ギヨー、かもしれない)」と書かれています。バーブリート自身この活字について確実なことは何もわからないとしながらも、ギリス・コッペンス・ファン・ディーストが特に使っていたということが書かれています。

 

この書体はそれ自体ではお世辞にもそれほど美しいものではありません。しかしこの活字には興味深いディテールを見つけることができます。それは「l」や「n」の形状が非常に尖っていたりカクカクした形状になっていることです。特に「n」の終筆部はブラックレター体の中でテクストゥーラ(Textura)と呼ばれるドイツやオランダでよく用いられたスタイルを想起させます。

 

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「n」の形状

 

ローマン体のところでも少し書きましたが、この時代はローマン体とブラックレターが混植される時期でした。またフェレ・ヒューマニスティカ(Fere-humanistica)というローマン体とブラックレターが融合したような書体も16世紀の初期にはありました。

 

オランダではブラックレターという文字は非常に重要な意味がありました。そして初のオランダらしい活字を作った人物は、ヘンリック・レターシュナイダー(Henric Lettersnijder)という名字に「活字彫刻」とある人物ですが、彼はオランダ風のブラックレター活字を成功させます。またフェリペ2世以前にもブルゴーニュ公爵など、オランダは長らく他国に支配されていた歴史もあり、自分たちの言語の文字としてはブラックレターがふさわしいと考えられていました。このブラックレターの名残の残る書体、しかもギリス・コッペンス・ファン・ディーストという禁書発行に携わる印刷家に好まれた書体であるということは、先述のローマン体と組み合わせるにふさわしい書体であると思えました。

 

今回作成したローマン体の元になるファン・デン・キーレの書体は現代では研究も進み様々な情報が比較的簡単に集まります。しかしこの書体はほとんど情報のない状態であったために、手探り状態で可能な限り当時の使われていた本を収集し文字を探していくところから始めました。世界中のデジタルライブラリーの書籍を一冊ずつ、何百冊も閲覧していくより他はありません。

 

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リサーチ中の資料1

 

バーブリートはこの書体を【Richard’s 2-line double pica italic】と呼んでいました。この「Richard」はパンチカッターではなく、この書体を使用した書籍で最も出版年が古いものを印刷した印刷家の名前ヤン・リチャード(Jan Richard)です。ところが時代は16世紀オランダです。名前のスペルの表記は固定ではありません。uとvの区別もはっきりしてない時代です。また禁書発行家の場合さらに難しくなります。「Jan Richard」という人物の名前のスペルの記述方法を大英図書館などのデーターベースを使って探していくところから開始せざるを得ません。このような苦労を経て画像を収集していきます。

 

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リサーチ中の資料2

 

研究を進めていくと面白い特徴がわかってきます。コッペンスの印刷物を丹念に集めこの書体がどのように使用されているかを見ていくと、この書体はコッペンスが使用する際ブラックレターの大文字とよく組み合わされていました。ちなみにこのイタリック体はよく似た細い書体があることが知られています。この二つスタイルが存在する理由に関する記述は、専門書にはありませんでした。一般的にはこの時代にはまだウエートや書体ファミリーという考えはありません、そういう意味ではそっくりな書体が異なるウエートを持っているということは意味があると思います。きっとこの太いウエートはブラックレターと組み合わせて使うことを想定されたものだと思います。

 

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『Theatrvm oder Schawplatz des erdbodems, warin die Landttafell der gantzen weldt, mit sambt aine der selben kurtze erklarung sehen ist』

 

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リサーチ中の資料3

 

そのようなこともあり大文字に注目が進むわけですが、大文字の画像を収集すると、よりこの書体の背景が見えてきます。この活字母型の小文字はプランタン=モレトゥス印刷博物館に収蔵されているのですが、もう一箇所北方博物館(Nordiska museet)にも収蔵されており、当博物館の活字コレクションの研究書を取り寄せ確認したところそちらには大文字と1文字だけ何故かブラックレターが含まれています。そもそも傾斜した大文字が印刷業界で成功するのは、1537年のペーター・シェファー(Peter Schöffer the Younger かの有名なヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)と仕事をしたペーター・シェファー(Peter Schöffer)の息子)の作成した可能性が高いとされるバーゼルイタリックと呼ばれる書体からです。この書体の大文字、例えば「M」や「C」などはバーゼルイタリックの特徴を有しています。そのような経緯もありリサーチ対象はオランダを超え、フランスのパリやリヨンそしてドイツ語圏のバーゼルに広がっていきます。詳しいことはATypIで研究発表を行なっていますので、そちらのアーカイブ動画をご覧ください。一言でまとめるとバーブリートとはギヨーかもしれないと言われてきましたが、フランス出身のギヨーよりドイツ系のパンチカッターの影響が見られるということです。

 

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バーゼルのヨハン・フローベン(Johann Froben)の印刷物『De animantibus subterraneis liber』

 

そしてこれらの集まった情報を元に、日本語部分やすでに作成しているローマン体活字部分と一緒に組むことができるように調整しながらデジタル化を行なっていきます。今回は活字研究と制作をほんの少しだけお見せいたしましたが楽しんでいただけたら幸いです。

 

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プランタン=モレトゥス印刷博物館にて撮影

游築見出し明朝体の欧文書体に含まれる文字について

游築見出し明朝体には、異体字のための游築見出し明朝体Altというものがありますが、欧文でもそれを最大限利用しています。これまでの日本語書体にはスモールキャップが付属することはなかったと思いますが、游築見出し明朝体Altにスモールキャップを収録しています。

 

26 SmallCaps
 

もちろん游築見出し明朝体Altにはオールドスタイル数字も収録されています。

 

27-2 OldStyle

 

大文字の「Q」などはとてつもなく長く伸びています。どうしてもこの尻尾が問題になる場合は、全角グリフに尻尾の短い物を用意しています。

 

28 LongQ

 

ローマン体に加えてイタリック体も収録されています。イタリック体にはたくさんの合字を用意しています。

 

29 Italic
 

日本語フォントの制限の中で、欧文の可能性を広げるような仕様を実現することができました。

 

30-2 Fin